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- 2012/7/18 17:21
- ブラさとし 上野2 花園稲荷神社
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- (フェイスブックより)
写真は上野公園にある花園稲荷神社ですが、御創社がいつになるかは不明なものの、古くより、この地にあり、当時は、上野が忍岡と呼ばれていたことから、忍岡稲荷と呼ばれ、石窟の上にあったことから、穴稲荷とも呼ばれていました。
1654年(承応3年)に天海大僧正の弟子にあたる本覺院の住職、晃海僧正が霊夢(神仏のお告げ)に感じ、廃絶していたお社を再建し、上野山の守護神としたとされます。
戊辰戦争時、彰義隊の戦いでは、最後の激戦地となり、「穴稲荷門の戦い」として...知られています。
後の1873年(明治6年)に岩堀数馬、伊藤伊兵衛らの篤志家らの活躍により、再興され上野の桜から、花園稲荷神社と改名。1928年(昭和3年)には、アメヤ横町などを転々としていた五條天神社も併せて御遷座され、社殿も南面に造営され神苑も一新されるに至りました。
尚、現在の本殿の隣に鳥居がありますが、通称・お穴様と呼ばれていて、そこに、かつての社殿がありました。このお穴様の奥にある社殿は、古書に弥左衛門狐と記されていて、寛永寺ができる際、かつての忍岡の狐が住む所が無くなるのを憐れみ、天海大僧正が一洞をつくり、お社を御祀りした、といいます。
そして花園稲荷神社の御祀神は岩稲魂命(うがもみたまのみこと)様で、主に家屋の守り神で、特に男女の縁のみならず、全ての縁において良縁を結び、人間関係を円滑にしてくださる、といいます。また、夫婦円満や、勝負事の御利益もある、といいます。
そして、御守りの「白羽の矢」は江戸時代より、もてはやされた、といいます。
- (フェイスブックより)