解読不能さんとモバ友になろう!
日記・サークル・友達・楽しみいっぱい!
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- 2010/1/18 0:21
- 2010年1月17日…
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- もう神戸大震災から15年経ち、当時16歳のエスイーエックスの事しか頭にない猿のようだった僕も…公園や神社や車などを利用しなくなり、お部屋を使うようになりました
これは、震災後すぐの話です…
僕達は、家が全壊になってしまった友人の薄い壁の仮説住宅で毎日UNOをしていました。彼の家は段ボールに服や色々な物が詰められていて狭く、コタツを置くのがやっとでした。それでも額縁に入った見事な金色の富士山の絵だけは誇らしげに、壁の上の方に紐で斜めに掛けられていました。彼の両親は隣の県の大阪に買い出しに出ていて夜まで帰って来ないので、僕達は学校も休校でやる事が無く、朝から4人でUNO、昼になると家帰って飯食ってからUNO、昼寝して3時から夜までUNOというUNO愛好家なら羨ましすぎる生活を送ってました…あの事件が起こるまでは
UNO生活8日目の夜
俺ドローフォー
友人①ドローツー
友人②ドローツー
友人③ドローフォー
俺ドローツー
友人①ドローフォー
友人②ドローツー
友人③ドローツー
俺 … … …
何てこった4+2+2+4+2+4+2+2=20
その瞬間に僕はショックで後ろに倒れたドーンという音とともに後ろの壁に後頭部を強打
その時に壁の上の富士山の隙間から紫色の物体が落ちてきた
その物体が僕の鼻に当たり、コタツの上に転がった…
僕達4人の時間は止まった
そうアレであるウィンウィン動く男の象徴(シンボル)である
僕は友人に叫んだ「お前んちのやろが!!早よ元の場所に隠せや!!」
友人は何をとち狂ったのか窓を開けてそのシンボルを外の茂みへと投げた
その後、しばらく僕達4人は動かなかった いや動けなかったしかし、その沈黙も長くは続かなかった…
外から鍵の開く音が聞こえたのである
僕は窓から逃げ出したかった しかし靴が玄関にある
僕は瞳孔が開いた生きる屍みたいな感じで、笑顔の両親に挨拶…そして、お茶を断り「門限が」と言いながら抜け出したのである
次の日からはUNOもしなくなり、バイブ友達とも疎遠になっていったあの事件が無かったら今頃は一緒に飲んでたりするのかな…と思う
- もう神戸大震災から15年経ち、当時16歳のエスイーエックスの事しか頭にない猿のようだった僕も…公園や神社や車などを利用しなくなり、お部屋を使うようになりました