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    • 2012/1/11 18:04
    • 【社会:学内凌虐に関する若干の考察①】
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    • 凌虐(いじめ)の定義には、必然的に反復性が含まれる。街中で偶然、擦れ違いざまに肩がぶつかり、そのことで押し出しのよい相手から殴打されたとしても、それは一過性のものであり、この場合、凌虐とは言えない。反対に、日を変えて幾数回も殴打されたとすれば、それは凌虐と認定できる。

      時に、凌虐(いじめ)は、複数の人間が相互に接触を持ちつつ共生するような環境であれば、それが如何様な性質のものであろうとも発生するが、環境内容の違いによって発生頻度に差異が見られる。

      例えば、数多くの人が往来する街道において、凌虐はほとんど発生しない。理由は、以下の二点が考えられる。

      《①他者との関係を操作する自由が与えられている。②倫理が実行力をもって空間を支配している。》

      一つ目は、自らの任意によって、他者との関係を離したり縮めたりすることができると言うことだ。《大好きな他者とは休日ホームパーティーをする関係である。嫌いな他者とは事務的な関係に留める。大嫌いな他者とは事務的な関係さえ拒絶する。迫害的な他者からは逃避する》と言った具合である。凌虐する人間から逃避できるが故に、そもそも凌虐が成立しにくいのだ。

      二つ目は、額面通りに受けって構わない。凌虐すれば懲罰を被るので凌虐を躊躇する。また、万がいち実行したとしても、懲罰に隔離措置が含まれることから、長期間、凌虐し続けるのは不可能だ。

      以上の二つの性質が密接に結び付いている環境では凌虐は滅多に発生しない。

      学校での生活環境は正にこれとは対極に位置する。故に学校では凌虐が頻発する。他者との関係は操作できず、倫理が実行力をもって空間を支配している訳でもない環境が、正しく学校なのである。

      学級単位の授業・給食・掃除・文化祭・体育祭・合宿・部活・その他の班活動、などを見れば分かるだろうが、生徒同士が絶対に触れ合わなければならないような制度設計が至る所でなされており、周囲と一切関係を持たずに一人で生活すのは不可能だ。自らの任意によって関係を操作することは見果てぬ夢だ。教師は生徒たちを、始終、べったりと馴れ合わさせ、心と心を擦り合わせるよう仕向ける。教師の座右の銘は『みんな仲良く・協調性を持って』だ。また、凌虐者から逃避しようと思い立っても不登校か退校かの選択肢しかないので、自然と及び腰にならざるをえず、凌虐の憂き目に会い続ける事態が生起する。

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