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- 2011/7/16 16:00
- 【社会:当為と必然、愛の広狭と非普遍性】
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- 愛は広範なものと個別的なものとに大別される。
前者は人間やタコ、もう少し拡張して哺乳動物や海綿動物などを含む種を愛すると言ったものを示し、正しく個別的ではなく、ある原理によって秩序付けられたものを愛するの意であり、翻って後者は個物(このもの・あのものと表現されるような唯一的なもの〈例〉人間ではなく、近所の太郎君。タコではなく、家で飼育しているコータと言う名のタコ)を愛するの意をもち、分けても個人を愛する場合、それを恋とも呼称する。
我々の目下の懸案は恋を定義すること、詰まりは愛の中でも個別的であり、かつ、その対象が人である場合に於ける愛を定義することであるが、定義の際かかせない要素の一つが本質である。故に本質を規定することは本件の最重要事項であると言えよう。しかし、偏に本質と言ってもその性格は二つに分類される。
一方は、必然性を有するもの、他方は義務性を有するものである。要は必然と当為と言う二つの視点から本質を論じる必要があるのだ。
必然は自然と言い換えても差し支えないだろうが、これは《あること・あらざるをえないこと》を意味している。以上のものに該当するのが前記考察に於ける《絆の構築》である。他者を愛すれば否応なしに絆を構築せざるをえないし、それを内包しないと言うことは即ち無関心と言うことになり、もはや罷り間違っても愛とは呼べないのだ。
そして当為とは、《正になすべきこと・正にあるべきこと》を意味し、これに当て嵌まるのが《子作り》なのである。念の為に一例を示すと、《人間は空言を吐く生き物ではあるが、嘘をついてはならない》と言うのが当為である。さようにある訳ではないが、しかしさようにあらねばならぬと言う訳だ。
さて、ここまで思索を進めてきた結果、ことの全体像が掴めてきたのではなかろうか?我々が批評するべきは子作りを愛の当為としての本質に加味することの可否である。
【愛の本質=絆の構築(自然)+子作り(当為)】
このような図式にお墨付きを与えるか、はたまた
【愛の本質=絆の構築(自然)】
かような図式に作り直す方が適当かを熟考することこそ、今回の事案に解決の糸口を見出だす唯一の術だったのだ。
ここからは大いに主観の介在する余地のある領域になるだろうが、成る丈、説得力を担保した論理を展開出来るよう努力するつもりである。
- 愛は広範なものと個別的なものとに大別される。