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- 2012/7/1 11:56
- じいちゃんのおくやみ
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6月27日、水曜日、お昼頃
母に叔父から危篤の電話が入った30分後、永久の眠りにつきました
私に電話が入ったのは夜でした
享年82歳でした
もう少し生きてくれると思ってました
私が二十歳になって、弟が高校卒業して私が専門学校卒業して、結婚とかして…、その度に「もう少し生きてくれる」と思ったと思います
父方の祖父母は私が小さい頃に亡くなってます(祖父:小5、祖母:生まれてすぐ)ので、私の「じいちゃんとの思い出」に出てくるじいちゃんはじいちゃんだけでした
よく抱っこやほっぺにちゅーしたり、弟とけんかしてうるさいと怒鳴られたり、一緒に温泉に行ったり、修学旅行等の話をしたり、大きなおならをして家族で大笑いしたり…
じいちゃんはあまり話さない人(私の記憶上)だったので笑ったり怒ったりの表情しか思い浮かばないのですが(・ω・`)
中学の修学旅行のおみやげでじいちゃんにそっくりな猫の置物があったので即買い、持っていくとばあちゃんや家族は「じいちゃんが二人おるごたぁ」と笑い、じいちゃんは「似とらん」と言いながらもテレビの横にずっと置いてました
晦日~正月には母の友人の手伝いもあったので毎年必ず八代に行ってました
正月は父の誕生日、一週間後の8日がじいちゃんの誕生日だったので両方一緒にお祝いしたりしました
最近は叔父は仕事が警察官で、派出所での勤務でしたので世話ができず、母も天草で仕事をしてるので世話ができず、ばあちゃんと一緒に老人ホームの方にお世話になってました
猫の置物も一緒に
八代に行くのは2ヶ月に1回くらいでした
その度に老人ホーム→家で過ごす→老人ホームの行き来をしました
私がきちんと自立できてたら八代にじいちゃんばあちゃんと一緒に住んで、そこの専門学校や短大に行く、みたいな話になってましたが、叶わない話でした…
あと私だけではじいちゃんばあちゃんを持ち上げることができず、いつも父母弟の助けを必要としてたので、やっぱり…と思います…
じいちゃんは29日の9時には骨になると言われたのでレポート終わってない私は28日朝からバイト、夜は熊本に残って徹夜で仕上げ、始発で八代に行きました『リンク:続編』
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