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    • 2025/6/8 19:20
    • 灯澄column 2025年(令和7年)6月8日(日)
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    • 2025年(令和7年)6月8日(日)


      同じ時代を生きた劇作家の寺山修司は、かつてその選手の引退にあたり、こんな賛歌を送った。
      「思えば長嶋茂雄は、百万人の焼土の野球少年の描いた夢の実現した姿だったのだ」

      戦争中は敵性スポーツとして迫害されながら、戦後の焼け跡で瞬く間に広がった野球。
      それを国民的な人気スポーツに押し上げた立役者でだった。
      ここぞという時に発揮する無類の勝負強さ。
      打って守って走って、すべてのプレーが躍動する選手だった。

      ミスタープロ野球と呼ばれた長嶋茂雄さんが3日に亡くなった。
      グラウンドは「自己表現の場」だとして、三振しても豪快なスイングでヘルメットを飛ばしファンを沸かせた。
      常に注目を浴びながら「期待は喜び」だと語るプラス思考。
      あの明るい笑顔は、子供にも大人にも愛された。

      周りが天才型と評す中で、いつも本人は「自分は努力型」だと。
      実際、巨人のチーム仲間も練習の熱心さは人一倍だったと証言している。
      華々しいプレーの裏には自分自身と向き合い、納得できるまで鍛える日々があった。

      監督になってからも目立ったのは選手を鼓舞する姿勢で大一番にも前向きな発言をくり返した。
      2004年に脳梗塞で倒れた後もリハビリに励み、子供達に教える姿は野球の伝道師としての使命を果たすかのように。
      最後の夢は走ることだったという。

      多くの人々を魅了し、心に刻まれてきた「4番サード長嶋、背番号3」。
      一途に野球に捧げた89年の人生だった。

      謹んで哀悼の意を表します。


      灯澄


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