柳井 恭介さんとモバ友になろう!
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- 2022/10/2 2:30
- 奮務記:「謝罪」の要らない環境づくり
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- 過去の日記でも何度か書いたように思うが、日本の評価方式は基本的に減点主義であると考えている。
できて当たり前、できなければケツを叩いて「どうしてできないんだ」と責め、そこからできるようになると「なぜ最初からやらなかったんだ」とさらに責める。
完全に害悪である。
では何でもとにかく褒めればいいのかというと、そうでもない。
何より、昨日まで人を責めることが指導や教育だと思い込んでいた者が、明日から適切に人を褒めることができるようになるわけがない。
とはいえ、いま日記に書いておきたいと思ったのは、物事の進め方に改善が必要な人に対して、どのようにそれを促すかということである。
もとより私は、上司や先輩に向かって安易に「謝罪する」慣習に強い疑問を抱いてきた。
接客業ならまだ理屈は分かる。
役務や商品を受けるべきお客様に対して「申し訳ありません」と言わなければならないケースはいくらでもある。
社内の先輩・上司に向かって行う謝罪は何に対するものなのだろうか?
とりわけ上司の悪感情のために謝罪する状況が生じているなら、それは完全に、上司本人のメンタルマネジメントの問題である。
私自身はこういう考えでいるので、仕事の進め方のことで自分が謝罪される側になるのも好きではない。
率直に言えば、改善のアイデアを示したことに対して感謝されるようになりたい。
そのためには、相手を普段からよく観察する必要がある。
特に、何がその人の長所なのかを見極めなければならない。
短所と思える点についても、どのような状況でなら長所たりうるかを考える。
人の性質というものは簡単に優劣善悪で分類できるようなものではないからだ。
その上で最近手ごたえを感じているやり方は、まず相手の長所を具体的に取り上げてから、いま改善してほしい状況に対して、その長所をどう生かせばよいかをやはり具体的に伝える、というものである。
さらに、そうすることによって当人と周囲がどのように益を受けるかも伝える。
とはいえ、改善を求めるときにだけ褒めているのではまるで意味がない。
平素から折に触れて褒めたり感謝したりすることが必要である。
この場合も具体性が欠かせない。
どれだけ年齢や経験を重ねても、感謝されたり褒められたりすると人は温かい気持ちになるものだ。
謝罪の要らない、むしろ互いに感謝し合える空気作りに、明日もまた努めていきたいと思う。
- 過去の日記でも何度か書いたように思うが、日本の評価方式は基本的に減点主義であると考えている。