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    • 2025/6/17 12:32
    • 【訃報】元大関・歌手の増位山
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    • 元大関の増位山が死去 76歳 肝不全 
      歌手としても「そんな夕子にほれました」ミリオンヒット

      配信 2025年6月17日 10:17
      更新 2025年6月17日 11:12
      日刊スポーツ

      大相撲の元大関2代目増位山の沢田昇(さわだ・のぼる)さんが、15日午後2時38分に肝不全で死去していた。

      沢田さんが所属する株式会社ゴールデンミュージックプロモーションが17日、発表した。

      東京都出身、76歳だった。

      2022年12月に体調不良を訴え、敗血症と診断された。

      以降は復帰に向けて療養とリハビリを続けていた。

      葬儀は家族葬で行い、遺族の意向により香典、供花などは辞退する。

      お別れの会は調整中という。

      沢田さんは元大関増位山の長男として生まれ、18歳の時に父が師匠だった三保ケ関部屋に入門。

      同部屋の北の湖とともに1967年初場所初土俵。

      69年名古屋場所新十両、
      70年春場所新入幕、
      73年初場所新三役と出世し、
      80年初場所後に大関に昇進した。

      史上初の親子大関として話題になった。

      現役時代から、歌手としても活躍。

      25歳だった74年にデビューし、同年発売した3枚目のシングル「そんな夕子にほれました」は120万枚、
      77年には「そんな女のひとりごと」が130万枚を売り上げるなど、ミリオンヒットを連発した。

      81年春場所途中で現役を引退し、
      年寄「小野川」として三保ケ関部屋の部屋付き親方となった。
      父が定年退職を迎えた後は、年寄「三保ケ関」として部屋を継承。

      小結浜ノ嶋、幕内肥後ノ海らを育て、のちに大関となる把瑠都をスカウトした。

      65歳となった2013年九州場所限りで日本相撲協会を退職。

      退職後は、歌手「増位山太志郎」として活動を始め、同年12月に新曲を披露した際には「無事に大相撲界を定年して、これからは歌で生きていきます。

      歌があること、次にやりたいことがある僕は本当に幸せ。相撲では大関止まりでしたが、歌謡界では横綱を目指します」と話していた。

      2015年には東京・墨田区の旧三保ケ関部屋に「ちゃんこ増位山」(現在は閉店)をオープンし、歌声を披露することもあった。

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