久太郎さんとモバ友になろう!
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- 2020/4/15 12:06
- COVID-19禍に思ふ
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- 「苦しい時の神頼み」的に神仏に祈る人もいるでしょう。
それでもいいんだけどね。
以下、親しくさせていただいてる知恩院教師の僧侶のお話し。
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「一念十念に往生をす」と言えばとて、念仏を疎相に申すは、信が行を妨ぐるなり。
「念々不捨者」と言えばとて、一念を不定に思うは、行が信を妨ぐるなり。
信をば一念に生まると信じ、行をば一形に励むべし。
(勅修御伝第二十一巻・法然上人御法語前篇十五章)
訳
「一念や十念でも往生する」と説かれるからと言って、念仏をおざなりに称えるのは、本願への信心が念仏の行を妨げているのです。
「念仏し続けて片時もやめないならば往生できる」と解釈されるからと言って「一念では往生が不確かだ」と思うのは、念仏の行が本願への信を妨げているのです。
信心については「一念で往生できる」と信じ、行については生涯続けて励むべきです。
私が高校生の時、仏教に深く縁を感じ始め親しい友人に
「念仏って臨終の一遍でも救われるんやで、阿弥陀様の慈悲が広大やから。」
と話したら
「ほな死ぬ前に一遍だけ称えるわ!」
と返事が来たのが今でも印象に残っています。
友人は冗談やったのか?伝えるのは難しいことやなと思いました。
この御法語を拝読すると弥陀の救済について、自分の都合良く解釈してはいないか?と問われているなと毎回思います。
平生物事についても自分を正当化する受け止めをして過ごしていないか?
また、極端に受け止めずにバランス良くというのも大事と省みる機会を与えていただいたなと感じます。
「一遍でも往生させてくださるからこそ、一生涯功徳を重ねるのですよ。それが念仏者の在り方です。」そう法然上人が導いてくださっている、、、
今日もありがたい。
- 「苦しい時の神頼み」的に神仏に祈る人もいるでしょう。