うりぼうさんとモバ友になろう!
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- 2018/6/20 10:05
- 祖父母の思い出(その1)
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- 自分の実家は、もと農家だった(^.^)
農業してたからか、分からないが、特に忙しい時期には、子供は、放置?みたいな(笑)手伝いする時、以外は、じいちゃんか、ばあちゃんと一緒に居た(^_^)v
父方じいちゃんは、すごく穏やかな人で、あまり怒らない(^.^)
母方ばあちゃんは、母と叔父を女一人で、育ててきただけあって、ある意味パワフルで、ちょこちょこ怒られてた(笑)
じいちゃんの家は、玄関出たら、徒歩1分(笑)毎日、じいちゃんに挨拶して学校に(^.^)
じいちゃんには、たくさん迷惑かけたと思う(# ゜Д゜)
じいちゃんは、物心ついた時から、耳にタコが出来るぐらいの言葉と、北島三郎の全曲を自分の記憶に(・o・)
じいちゃんから、言われた言葉は、
人は一人じゃ生きられない、この先に、困った人、助けを求めてる人、お前を必要とする人は、手を差しのべてくる、必ず、その手を取りなさい(・o・)
手を取る事は、お前にも責任がある。一緒に悩み・考え・共に行動しなさい。その事が解決した時は、互いに笑顔になれるだろう(・o・)
そして、お前が助けを求め、手を差しのべても、手を取ってくれる人が居るから、何かを求め助けるんじゃない、助け合う事は、当たり前の事だと(・o・)
他にもたくさん言われてきたが、物心ついて、じいちゃんが永眠するまで、ずっと言われた言葉( ^∀^)
じいちゃんは、長女が産まれた、6ヶ月に、脳梗塞で、倒れた(。>д<)
自分が単身赴任から、宮崎に帰り、じいちゃんに、娘を連れて行こうと考えてた、2日前に(。>д<)
なんとか、意識が戻った、でも、痴呆が出てて、分かってくれるか、不安だった(# ゜Д゜)病室で、ひ孫と対面した瞬間に、まぁ、の子供か?と、久しぶりに、名前を呼ばれた、ひ孫を抱いて、すごい笑顔だった( ^∀^)
でも、何故か涙が、予定を早くすれば、元気な時に逢えたのに、後悔したのかな?
- 自分の実家は、もと農家だった(^.^)