hypographさんとモバ友になろう!
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- 2025/6/27 16:06
- 父は、中卒料理人だが、兄と私は、大卒です
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- 父は、中学校を卒業すると、東京の玉屋という寿司のチェーン店の1店舗で働き始めた。然し、2年間虐められていて、そこを飛び出し、転々として、最初は、空港の高級料理屋で勤める等していたが、最後に小さな中華料理店で、調理師の資格を得る。
結婚して名古屋に来て、日本運送にホームで荷分け等で働く人として雇って頂けて、そこに20年以上勤務した。履歴書には、最初の寿司店の店主が、ずっとここで働いていた事にしてあげると言い、問い合わせにも口裏を合わせてくれたらしい。但し、そこの助言で、あそこは、調理師の資格については、書かない方が良い、と指導を受けたと語っている。周りが皆、高卒で、一人一つデスクがある所で、皆もよく受かったと言っていたらしい。日本運送は、大阪に本店があり、名古屋の支所にも、年末に、中小のトラック会社から清掃に訪れる、運送業で10本の指に入る大手らしい。
兄は、経済学部の名門と言われる大学を少し遅れながら卒業した。
私は、ソウル大学にお金を支払って、数学科の講義を大学だけでなく、その後、大学院の講義も受け、もう教える事がなくなったと、28歳にもなって数学科卒業となった。
父の祖父や父と兄と私は、天皇家っぽいけど、それぞれ直接の血縁はないだろうとされています。特に、兄は、家族や親族が皆、二重瞼だったのに、一人一重瞼だったので、直ぐに、散々に言われてました、大学出るまでは。
私に関しても、大分後から、写真にある高崎市照の家に韓国系が混ざってると騒ぐ婦人達が居て、迷惑になっている。
添付した写真は、高崎市照という母方の女系を辿っての祖祖母です。
では、またの機会にお目に掛かりたい。
- 父は、中学校を卒業すると、東京の玉屋という寿司のチェーン店の1店舗で働き始めた。然し、2年間虐められていて、そこを飛び出し、転々として、最初は、空港の高級料理屋で勤める等していたが、最後に小さな中華料理店で、調理師の資格を得る。