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    • 2016/4/1 8:00
    • 明日が母の命日-1
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    • 癌の治療を終え、それから約10年後に癌の再発。


      そして、2年ほど手術と治療を繰り返し、帰らぬ人となる。


      享年69歳である。


      50代で癌になり、一度は完治したはずなのだが、不摂生な生活や投与されている薬なども殆ど飲まないような人だったので再発したのだろう。


      二度目に癌が発見された時は、既に時遅しの状態だったそうです。


      夕張で当時一つしかなかった総合病院(市立病院)へ定期的に検診へ行っていました。


      しかし、設備が整っていなかったので、再発直後に異常を発見出来なかった。


      担当医にも問題はあるのだろうけど、結局はギリギリまで我慢していた母が悪いんだと思います。


      詳しい検査が出来ないという理由から、隣り街の岩見沢にある総合病院へ検査入院することになりました。


      検査後に、親族が呼び出され・・・


      もう、助からない状態であることを告げられる。


      母の妹は、こう言った・・・


      『何で、こんな状態になるまで発見出来なかったんだろう・・・』


      ま、それが公営の病院の実態ってことでしょう。


      筆者や兄は、夕張の市立病院(現在は廃院)へ対しては何も思いませんでした。


      不摂生な生活を送り続けた母が悪い。


      それだけです。


      この後、岩見沢の総合病院でも手に負えないとのことで、札幌の渓仁会病院という大きな総合病院へ移る。


      余命半年と言われてから、実に二年ほども頑張りました。


      始まりは大腸癌なのですが、それがお腹の中に転移を続け、腹腔癌という言い方になっていました。
      ※筆者は先生と直接話をしていないので、真実は解りません。


      最初の手術は部分的に重要な個所の摘出手術。


      体力が回復するにつれて、違う個所の摘出手術。


      そしてメインの手術の日、手術前から親族が呼び出され、半日に及ぶ手術が終わるのを待ちました。


      成功する見込みがなかったのか、体力がもたないと予想したのか・・・


      親戚一同、この時点で諦めてました。


      が、一命は取り留め、ここから二年近くも頑張ったのです。


      手術後に取り除いた部位を見せてくれましたが、総重量約3キロにもなるどす黒い肉片。


      これを見た時に、初めて兄と・・・


      『こんなになるまで、何で発見出来なかったんだろう?』


      公営のところって、役所も含めていい加減だから仕方ないのかもね。


      きっと、こんな事例は山ほど存在しているはずです。


      もしも、親御さんに異変があれば、きちんとした病院での検査をお勧めします。

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