中城規介さんとモバ友になろう!
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- 2011/4/27 1:45
- レイチェル・コリーの志④
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おさぼりごめんなさい
ここ最近、休みなしで仕事が続いたので書けませんでした…
シオニズム運動を背景にユダヤ人は、パレスチナの地へ続々と集まり始めました。
ユダヤ人はその迫害の歴史から就ける職業において大きく制約を受け、キリスト教で禁じられている金貸し位しかまともな職につけませんでした。しかし、その社会的立場とは相反し、金融業で潤い、力をつけた裕福な豪商が多かったのです。
そのユダヤ人の経済力に目をつけたイギリスが、パレスチナでのイスラエル国家建設に協力するかわりにオスマン帝国との戦費を捻出してもらうといった協定を締結しました(のちに、アラブ人、ロシアなどとも同じような土地分割協定を結んでおり、三枚舌外交と呼ばれます。紳士の国がなんて体たらくでしょう…)。ユダヤ人は、なんだかんだでイギリスの委任統治領と言う形でパレスチナに少しずつ入植していきました。
これまでの歴史を見ても、元来ユダヤ教徒とイスラム教徒は、こと敵対することもあまり無く、このパレスチナでも当初は、アラブ人たちとユダヤ人が友好的に生活を営んでいました。また、イフードという運動で民族性、宗教性を出さずに共存していく動きもありました。
しかし、嘆きの壁事件という事件で、ユダヤ人とアラブ人が宗教のデモから互いに暴徒と化し、共に100人以上の死者が出ました。こういう事件背景などに加え、どんどん入植してくるユダヤ人に危機感を抱いたアラブ人の中でユダヤ人の反発運動が高まります。
ここで鍵を握るのがアメリカ在住のユダヤ人でした。
長い歴史で迫害を受け続けたユダヤ人の中には、自由な国アメリカにその身を委ねる人も少なくありませんでした。アメリカ在住のユダヤ人は世界で(イスラエルも含む)最も多く、600万人いるといわれています。
アメリカに渡ったユダヤ人は、得意の金融業で成功を収め、その経済力をもってユダヤ人に不利な発言、政策を掲げる上・下院の議員を次々と落選させる実績をつくりました。これによってアメリカで政治を司るものは、まずユダヤ人ありきの政を掲げねばならず、これによってユダヤ人はアメリカ政界を牛耳るほど強力な力を得たのです。