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    • 2013/6/24 3:07
    • レイチェル・コリーの志⑥
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    • 1993年にイスラエル、パレスチナ両国で取り交わしたオスロ合意で、パレスチナの人々はガザと呼ばれる地域などごく狭い区域に追いやられました。パレスチナ解放機構(PLO)といった有名なアラファトが議長を務める機構が、ユダヤ人とアラブ人の共存を目指しましたが、それも同氏の病死以降、求心力が薄くなりました。また、度重なる抗争で、家族や友人を失った双方は武力行使で敵にその痛みを認識させる事こそが最大の行動であるという気運が高まってしまいました。

      主にイスラエルは空爆や、建物の破壊などでパレスチナを絶えず攻撃、パレスチナは応戦するように対地型ロケット砲での局地戦で応戦していました。その惨状たるや見るに堪えないもので、当時のイスラエルの首相シャロンはこう言っています。「一発のミサイルには十発のミサイルをもって応じる。女性や子どもも死ぬだろう。女性たちが夫にもうカッサム(ロケット弾)を使わないように懇願するだろう。ガザに閉じこめられた250万人は、イスラム原理主義者に影響され、恐ろしい戦争になる。もし我々が生き残りたいならば、彼らを一日中、毎日、殺し、殺し、殺し続けなければならない」。

      仮にも一国の首相がこんな悲しい発言を用いる状況下で、とうとうその日が来ます。イスラエルがパレスチナの住居をブルトーザーで破壊しようとガザ地区に侵攻を開始します。

      レイチェル・コリーは、アメリカに生まれ、小学生にして、公衆の面々で飢餓問題についてしっかりとしたビジョンでアピールできる才女で、大人のスピーチなんかよりも信念が伝わるほど熱意の強い人柄でした。その平和へのビジョンを具現化すべく、大学卒業後は国際連帯運動(ISM)という組織で反戦活動に従事していました。その平和活動のため、アメリカ人でありながら同盟国のイスラエルが目の敵としているパレスチナのガザ地区に入り、反戦活動に従事していました。

      イスラエル軍のブルトーザーがパレスチナの家屋を破壊をしようとしたその時、彼女はブルトーザーの前に立ちはだかりました。パレスチナの人々の暮らし、平和、それらを護るために…。
      しかし、イスラエル軍はそれに応じませんでした。容赦なく地面とブルトーザーの間にその彼女の平和への姿勢、信念を押し潰しました。彼女はパレスチナの人々、生活を護るため、何より争いを是としない信念に基づき、23歳の若さでガザにその身を沈めました。

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