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    • 2013/6/24 2:48
    • レイチェル・コリーの志⑤
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    • 何故、今頃…とも思いましたが、書きかけて筆をおいていない日記があったので完結させようと思いました。もし、誰も見てくれなくとも自分には書き続ける理由があったのを恥ずかしながら思い出しました…それ故、続きを書きます。

      そうしてとうとう1947年にこのアメリカの度重なる圧力により、イギリスは委任統治領であるパレスチナの反発問題を国際連合に仲介を委ねます。焦点はパレスチナをユダヤ人とアラブ人がどのように支配するか?です。

      ユダヤ人に有利になるような投票を目論むアメリカ大統領トルーマンが強烈な国際圧力をもってソ連、フランス、ブラジルなどに根回しを行います。そして賛成33・反対13・棄権10でパレスチナの56.5%をユダヤ人国家に、43.5%をアラブ人国家の国とする国連決議を成立させます。

      こうしてパレスチナで1/3程度の人口で大多数が不法移民だったはずのユダヤ人が、パレスチナの半分以上を手中に収める決議が議決されたのです。

      これに対し、アラブ人は黙っていられません。彼らの危機感は最高潮に高まり、翌年、エジプト・トランスヨルダン・シリア・レバノン・イラクなどを軸とした周辺のアラブ連盟加盟国は、エジプトの首都カイロでイスラエル建国の阻止を決議します。こうしてパレスチナの土地の分割問題をもとに第一次中東戦争が行われます。

      この第一次中東戦争はアラブ側が巨党を組んで参戦したため、圧倒的に有利と見られていました。しかし、アラブ側は内部分裂があり、力を発揮できませんでした。また、一時休戦中に経済力をたてに最新の武器補充と命令系統の一本化に成功したイスラエル軍は猛反撃をみせ、遂には戦いに勝利しました。

      これをきっかけにその後も地中海と紅海を結ぶスエズ運河の利権問題などで、幾度となく、アラブ諸国とイスラエルが紛争。その度ごとに血で血を争う戦いでその因縁は増し、互いに対する憎悪は深まっていきました。
      そして、その度に劣勢を強いられたパレスチナの人々は住むところを失っていきました。

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