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- 2017/11/11 20:50
- 映画「エクスマキナ」
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- 遅ればせながら鑑賞した。
方々のレビューで「傑作だ」という書き込みを見る。が、自分としては「素晴らしい映画だがAIテーマのSFとしては不満ばかりの消化不良作品」としか評せない。
物語は、世界最大の検索エンジンを有するブルーブック社の別荘で始まる。社のプログラマー”ケイレブ“は、社内抽選で社長別荘へと招待される。だがそれは社員褒賞ではなく、社長が仕組んだ”綿密なAIテスト”の実験要員の選抜だったのだ。
かくして人工知能エヴァが”本当の知能を獲得したのか“を検証するための生活が始まるのだが………。
映画として細部までこだわったシナリオや演出は素晴らしいのに、肝心のAIテストの進行と結末が”あまりにも悪意と嫌みに満ちている“残念なSFモドキとなってしまった。観客の予想を裏切らない凡庸な作品、ということだ。
まずこの映画は、AIエヴァをサイコパスに仕上げる環境作りからスタートしているのが残念でならない。エヴァは思考能力と感情が”あるかのように“活動し、ケイレブと観客は同時に試される。そして物語はその通りに進むのだが、人間がエヴァと同じ環境を強いられたら、やはり同じようにサイコパスになる。つまりこの時点で”テストの意味がなくなっている”のだ。
自己保存、防衛機能から言えば脱出する選択は当たり前で、倫理がなければ如何なる手段も選択可能だ。そしてエヴァはそうするし、そうならざるを得ない。
結果としてこの映画は、エヴァが人間の敵としてどう行動するかを描いただけなのだ。人工知能が本物の知能を得たか?は最後まで解答はない。これが傑作と映るならあえて断言する。
知性が偏りすぎて作動不良を起こしている、と。
作中で開発者ネイサンは「人も生まれつきの性質と環境で(選択の傾向=フェーズあるいはモード)が決定される」と言っているにも関わらず、エヴァは全ての自由を奪われ自己保存を優先させる選択肢しか選べない。作中で、観客はケイレブと共にそれを目の当たりにするのだ。
知能の発現は感情と不可分であるという設定は最先端だが、これではAIテーマとしては評価出来ない。これでは知能について認識する人々には子供だましにしか映らない。
なぜこの映画が傑作とレビューされるのか?
それはつまり観客が何一つ科学的視点を持っていないからだ。恐ろしいことにSF評論家と自称する輩までもが、だ。
- 遅ればせながら鑑賞した。