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    • 2011/10/24 2:16
    • トルコと日本④
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    •  日本人が示した献身的な救助、支援活動は、トルコの人々の中に、多大な親日感情を育てることにつながった。「中央アジアから西に向かったのがトルコ人で、東に進んだのが日本人にちがいない」と、彼らは言うようになった。
       加えて、ロシアの南下政策に、日本と同様、苦しめられていたオスマン帝国は、日露戦争に「アジアの小国日本」が勝利したことにより、その好感情を急上昇させた。
       日本とトルコは、第二次世界大戦により一時、国交を断絶したが、戦後もトルコの人々の日本人に向けるまなざしは、暖かかった。 そのことを日本人が知らされたのは、昭和60年(1985)、イラン・イラク戦争が勃発したおりのことである。
      ○空襲直前、2機が空港に舞い降りた
       その最中、テヘランを中心に、イランには215人の日本人が滞在していた。空襲が予告され、各国の航空会社は各々の自国民を優先的に搭乗させては、次々とテヘランを飛び立っていった。
       ところがこの時、日本では、日本航空が帰りの安全が保障されないとの理由から救援機を出さず、自衛隊も海外派遣が許されなかったため、飛ぶことができなかった。残留した人々は、焦燥と不安の中に孤立する。
       まさに、その時だった。飛行機が2機、テヘラン空港へ舞いおりた。

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