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    • 2011/10/24 2:11
    • トルコと日本②
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    •  その輝かしい親善の、帰国途中での大惨事である。 このとき、大島の人々はすぐさま、島をあげて、不眠不休の救出活動を開始した。生存者の救護、行方不明者の捜索――島の男たちは、怪我人の血を海水で洗い、兵児帯(へこおび)で包帯し、痛さに泣きわめくトルコの人たちを一人ずつ背負って、約60メートルの断崖(だんがい)をよじのぼり、決死の、それも無我夢中の救出作業を行った。○官民挙げての救出活動と支援
       助け出されたトルコ人は全員で69名。救助の甲斐なく亡くなった人は587名を数えた。この惨事は、すぐさま日本中に新聞のニュースとして伝えられたが、これを知った当時の日本人は皆、わがことのように涙した。
       明治政府の反応もすばやく、すぐさま軍艦「八重山」を急行させ、亡くなった人たちの葬儀と埋葬をおこない、同年10月には生存者を無事に帰国させるべく、彼らを軍艦「比叡」「金剛」でトルコへ運んでいる。 また、このとき、一人の無名の日本人青年が、東京でこの惨事を知った。
       「はるばる海を越えて、国交のない国・日本を訪れながら、亡くなったのはあまりにも気の毒だ。なんとか、遺族の方々を慰められないものか」
       24歳の彼は、フランス語と英語が少しできた。義援金集めに青年は奔走し、わずかな期間に、当時のお金で5,000円を集めている。

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