高シ~!さんとモバ友になろう!
日記・サークル・友達・楽しみいっぱい!
-
- 2011/3/23 10:24
- あの日の出来事 その8
-
- コメント(0)
- 閲覧(26)
-
-
- 0:11、ようやく家に連絡がつきました。
しかし自宅に居たのは母のみ。
なんと父と兄は東北に向かったとのこと。
交通も混乱しているであろう東北に乗り込むのは無謀だと思いすぐ母に止めるように指示しました。
ここで小銭がなくなり電話を切りました。
しかしよくよく考えると自宅から父に連絡がつくはずもなく…。
そんな父と兄のことと、バックに入れておいた大量の旅費が逆に心配で全然眠れませんでした。
0:30、バックと財布を抱えて寝袋で寝ました。
1:30、目覚めました。
しばらくボーっとしてました。
2:00頃になっても避難所に入所する人がまだたくさんいました。
1両ずつ救助しているため16両の800人全員を避難させるには時間がかかるようです。
寝袋に入ったり廊下に出たりしていました。
その間、JR職員や施設の職員の人たちは休むことなく何らかの作業を続けていました。
ここで携帯の電池がなくなってきたのでたまたまショルダーバックに入れておいた乾電池式充電器を使うことにしました。
しかし安物のため端子の接続が悪く、ずっとおさえてなくてはいけませんでした。
3:00、廊下でラジオが流れていることに気づきました。
1時間程聴いていましたが、ほとんど原発関連でした。
しかしその間に流れる各地の被害情報は信じ難いものでした。
「三陸方面の各地は高台を残して瓦礫の山である」と…。
愕然としました。
隣ではおばあちゃんが泣き崩れていました。
しかし、依然として情報はそれだけでした。
ここで疲労がピークに達していたので4:00にまた寝袋で寝ました。
6:00、また目覚めました。
その9に続く
- 0:11、ようやく家に連絡がつきました。