vistlipさんとモバ友になろう!
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- 2010/6/6 23:41
- 僕たちは…
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- 岩舟の町はすっぽりと雪に埋まっていた。雪は変わらずにまっすぐ降り続けていたが、空も地上も雪に挟まれた深夜は、不思議にもう寒くはなかった。僕たちはどこかうきうきした気持ちで新雪の上を並んで歩いた。僕の方が彼女より何センチか背が高くなっていて、そんなことが僕をとても誇らしい気持ちにさせた。青白い街灯の光がスポットライトのように行く手の雪を丸く照らしていた。彼女は嬉しそうにそこに向かって走り、僕は記憶よりもすっかり大人びた彼女の背に見とれた。彼女の案内で、彼女が以前手紙に書いていた桜の樹を見に行くことにした。駅から十分ほど歩いただけなのに、民家のない広々とした畑地に出た。人工の光はもうどこにもなかったっけれど、あたりは雪明かりでぼんやりと明るかった。風景全体が薄く微かに光っていた。まるで誰かの精巧で大切なつくりのような、美しい風景だった。その桜の樹はあぜ道の脇に一本だけぽつんと立っていた。太く高く、立派な樹だった。二人で桜の樹の下に立ち、空を見上げた。真っ暗な空から、折り重なった枝越しに雪が音もなく舞っていた。「ねぇ、まるで雪みたいだね」と彼女が言った。「そうだね」と、僕は答えた。満開の桜の舞う樹の下で、僕を見て微笑んでいる彼女が見えた気がした。その夜、桜の樹の下で、僕は初めて彼女とキスをした。とても自然にそうなった。唇と唇が触れたその瞬間、永遠とか心とか魂とかいうものがどこにあるのか、分かった気がした。十三年間生きてきたことのすべてを分かちあえたように僕は思い、それから、次の瞬間、たまらなく悲しくなった。彼女のぬくもりを、その魂を、どこに持っていけばいいのか、どのように扱えばいいのか、それが僕には分からなかったからだ。大切な彼女のすべてがここにあるのに。それなのに、僕はそれをどうすれば良いのかが分からないのだ。僕たちはこの先ずっと一緒にいることはできないのだと、はっきり分かった。僕たちの前には未だ巨大すぎる人生が、茫漠とした時間が、横たわっていた。― でも、僕を瞬間捉えたその不安はやがて緩やかに溶けていき、僕の身体には彼女の唇の感触だけが残っていた。彼女の唇の柔らかさと暖かさは、僕が知っているこの世界の何にも似ていなかった。それは本当に特別なキスだった。今振り返れってみても、僕の人生には後にも先にも、あれほどに喜びと純粋さと切実さに満ちたキスはなかった。