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- 2011/3/25 16:42
- 大震災
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- あの日から2週間がたった。
未だに余震もおさまらない。
昨日も震度5の余震がきた。
地鳴りで大きいか小さいかわかるようになった。
3月9日。大震災の2日前。昼前に震度5の地震がきた。その後も余震はあったものの私も娘もさほど不安を感じてはいなかった。
以前より近々宮城県沖の大地震がくるだろうと言われていたので最低限の防災グッズは準備していたが置き場に困り、いつもは納戸の部屋の奥に置いていた。
けど、9日の地震後なぜか私は防災バッグを出して中身を再確認し、その他にお茶やお菓子などを追加して玄関に置いた。
まさか2日後にそのバッグのみを持って避難するとは思いもしなかった。
3月11日。近くのスーパーが売り出しの日。いつもは張り切って出かけるのに、その日は午後から雪も降り出したのもあるけどなぜか外出する気にならなかった。
午後になり娘を寝かせ、その間掃除やら片付けやらで駐車場に行ったり動き回っていた。一通り終わり家計簿をつけながら休んでいた時、2時46分がやってきた。
テレビはつけていなかった。
揺れ始めてから携帯の緊急地震速報が鳴った。
強い揺れですぐ娘を抱き上げた。
もはや動くことすらできない。
とにかく物が倒れない場所にいることしかできなかった。
おさまったらすぐ避難しようと思ったがどんどん揺れは激しくなった。
クローゼットの扉が開いて中身が飛び出す。
娘が寝ていた場所にタンスが吹っ飛んでくる。
冷蔵庫の扉も開いて中身が散乱。
オーブンレンジはコンセントを壊して抜けて落ちる。
加湿器、ポットもひっくり返り水浸し。
座っていた私達も揺れが激し過ぎて転がる。
娘はおびえて泣き叫ぶ。
何度か震度6を経験したが、そんなものじゃなかった。しかもすごく長かった。5分位は揺れていたとの話も聞く。今回は逃げられずこのまま死ぬと本気で思った。
賃貸なので家具は壁に固定できないので、食器棚は耐震ジェルマットを敷いて、扉は耐震ロックをつけていたので幸い倒れなかった。あれが倒れていたら私達は逃げられなかった。
わずかに揺れがおさまった時にすぐさま玄関に走り裸足で外に出た。隣近所の方が玄関を開けて外にいた。みんな小さな子供がいる家庭だ。誰かの顔を見るだけで安心した。
すぐさま強い余震がきた。立ってられない強さだ。おさまったあたりに防災無線が鳴った。
「大津波警報。予想高さ10メートル」
- あの日から2週間がたった。