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- 2011/5/10 2:22
- 東北地方被災地について①
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- 3月11日の大地震、そして大津波によって被災された方々に心からお見舞い申し上げます。とは言え、自分もある意味被災者みたいな感じですが…
実家は宮城県南三陸町にあり壊滅的被害にあってしまいました。
家も車も仕事道具も流されてしまいました…
正直な話し、テレビで観た映像は最初は信じられませんでした。気仙沼港が映った時、見慣れた町並みではなくなってしまっていて…
いくら電話をしても繋がらず、ただただテレビで情報を得るしかない時間が辛かった…
ニュースを観ていても同じ映像を繰り返しているだけで我慢出来ず友人知人の協力を得て車にガソリンと救援物資を積み込んで2日後の13日に被災地へと向かいました!地震の影響で東北道が通行止めの為、北陸を通っての回り道しか手段がなく、15時間かけてようやく志津川に到着!しかし、深夜だったので瓦礫でのパンク防止の為、待避所に車を止めて毛布に包まり仮眠。もちろんガソリン節約のためエンジン停止!走行中もヒーターは使いませんでした。
そして朝方5時過ぎになりうっすらと明るくなって辺りを見た時に愕然としました。到着時は深夜だったので確認できなかったのですが、目の前はもう瓦礫の山だったのです。ただでさえ安否確認出来ていなかったので不安感が更に増したのを覚えています。瓦礫を避けながら最初にたどり着いた避難所の安否確認の貼紙でまずは姪と甥の生存を確認!涙が自然とボロボロと…更におじさんとおばさんに直接会う事ができてまた号泣
その後おじさんとおばさんを車に乗せて両親を探しに行きました。両親の自宅に着いたのですが…留守でした。正直津波に…なんて思ったりもしましたよ。ですが隣人に尋ねたら〇〇に避難してるよ!と教えてもらいすぐに向かいました!その避難所にもたくさんの人が逃げて来ていました。その後は両親を見つけるのに必死でしたね。ついに見慣れた母の後ろ姿を発見して「おっかぁー、来たよ!」と声をかけました。母はまさか自分が会いに来るとは思ってもいなかったようで5秒ほどフリーズしてましたょ。その後、父とも祖母とも再開!またまた家族で大号泣かなり嬉しかった
心の中では最悪な場合も覚悟してたし…そして友人知人達が集めてくれた物資を避難所に差し入れる事ができました!
まだまだ書きたいのですが、入りきりませんまた近いうちに更新します。
- 3月11日の大地震、そして大津波によって被災された方々に心からお見舞い申し上げます。とは言え、自分もある意味被災者みたいな感じですが…