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- 2019/7/29 14:24
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- "7月30日の『西武vsソフトバンク』戦" について:
子規の息遣い感じながら ゆかりの味も楽しめる根岸
俳句、短歌の革新者正岡子規(1867~1902年)のついのすみかがあった東京都台東区の根岸。街角には句碑が点在、子規の息遣いを感じる場所も残る。文化人同士の親交も垣間見られ、ゆかりの味が楽しめる。
JR鶯谷駅北口から歩き、歓楽街を抜けると、木造平屋の古民家が立つ。子規の旧宅を再建した「子規庵」だ。34歳で亡くなるまでの8年余りをこの地で過ごした。
子規の寝室だった6畳間を再現した部屋に入る。ここが随筆で「病床六尺、これが我世界である」とつづった空間か-。記者も横になってみた。不思議な曲線からなるヘチマの実が目に入り、葉の間から陽光が差し込む。窓越しに見える風景は小宇宙のように映った。
子規庵向かいの同区立書道博物館へ。洋画家で書家の中村不折(1866~1943年)が、自身のコレクションを基に36年に開館した。子規が亡くなった9月19日の「糸瓜忌」を前に、2人の関わりを伝えるコーナーを開いている。
子規との仲を「肝胆相照らす処があつて」と自伝につづった不折。子規の顔を描いたデッサンからは、ぼんやりとした鉛筆の線描写に深みが感じられる。2人の友情の深さと子規を失った不折の悲しみがにじむようだ。
「雀より鶯多き根岸かな」。近くの根岸小学校の前には、子規の句碑が。江戸末期から明治にかけ、この地が「鶯の里」と呼ばれたほど自然豊かだったと教えてくれる。
子規が愛した豆腐が味わえると聞き、1691年創業の「笹乃雪」に入った。名物は「あんかけ豆富」。舌触りが優しく、豆の香りがふんわりと口いっぱいに広がる。
11代目店主の奥村喜一郎さん(53)によると、子規は叔父の加藤恒忠にした借金を踏み倒すのに、同店の「豆富」を持参。妹の律がざるを持って買いに来ていた逸話が伝わっているそうだ。
【メモ】「笹乃雪」の前には、「水無月や根岸涼しき篠の雪」など同店を詠んだ2句が刻まれた子規直筆の句碑がある。