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    • 2010/2/13 8:24
    • ◆小説「新・人間革命」[学光8]
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    • ◆小説「新・人間革命」
      2月4日
      [学光8]
       戸田城聖は、『小学生日本』の「誌上考査問題」で、成績優秀者を誌上で発表し、メダルや記念品を贈った。そこには、次代を担う「宝」である子らの学習意欲を、少しでも高めたいとの、強い思いがあった。
       当初、考査問題に挑戦した児童は、五年生向けが約二千人、六年生向けが約三千人であった。
       発刊翌年の一九四一年(昭和十六年)春、国民学校令によって小学校が国民学校に変わったことから、『小学生日本』も『小国民日本』へと改題する。この年の十月号によれば、考査問題への応募者は、五、六年生合わせて、一万二千人を超えている。
       その後、戸田は、軍部政府の弾圧によって逮捕される。四五年(同二十年)七月三日に出獄し、事業の再建に取りかかった彼が、真っ先に着手したのが、戦争で学びたくても学べなかった青少年のための、通信教育事業であった。
       中学生(旧制)を対象にした半年間のコースで、月に二回、数学、物象(物理、化学、鉱物学などを包括した教科)の教材を送り、月に一度、試験問題の添削を行った。後に英語も加えられ、高等学校・専門学校(旧制)受験のための添削も始めている。
       申し込みと同時に、前金を納めるというシステムで、一日に八百通以上の申し込みが届いた日もあった。しかし、戦後混乱期のインフレの影響を受け、紙代や印刷費が高騰し続け、通信教育事業から撤退せざるをえなくなったのである。
       “万人に教育の機会を与えたい。民衆が賢明にならずしては、本当の民主主義はない。それには教育しかない!”
       それが、戸田の信念であった。それだけに通信教育事業からの撤退は、さぞかし残念であったにちがいない。戸田は、山本伸一への個人教授の折にも、よくこう語っていた。
       「日本中、世界中の人たちが、学べるような教育の場をつくらなければならんな」
       その言葉を伸一は、遺言の思いで聞いた。

      【聖教新聞】転載

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