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    • 2011/3/5 1:47
    • 2011年3月4日14:50
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    • 祖母のときもそうでしたが、私の仕事中に店の電話が鳴りました。祖父が危篤の電話でした。急いでタクシー乗って病院に行きましたがすでに祖母のところへ逝かれた後でした。いつものように口を大きく開けて眠っていました。もう目を覚まさないなんて今も信じられません。

      「おまえは生まれて来たらあかん子やった」

      物心ついた頃、祖父に言われた言葉。あのときはわからなかったけど、両親が離婚してわかった。
      父親が最低な人間やからロクな人生を送れないこと
      私には幸せな家庭に生まれてほしかったこと
      祖父はそういう意味でぽつりと言ったのでしょう。

      「おまえ誰やったかな」

      月曜日、これが祖父の最後の姿で最後の言葉でした。祖父は自分の兄弟を何十年も前に亡くしていたし、私には祖母が二人いるんですがその妻にも先立たれたし、3年前私達が同居を止めて、一人で暮らしていたから祖父は寂しかったのかもしれません。そのせいでボケが始まったのか、もう私の名前を思い出してくれませんでした。
      でも、帰るとき「おじいちゃん、また来るね」そう言った私に笑顔で頷いた祖父。きっと嬉しかったし、また会いたいって思ってくれたのでしょう。

      私が祖父と祖母のことでひとつだけ忘れられないことがあります。
      それは私が中学生で入院していたとき、遠い病院に入院していたのに夫婦仲良く見舞いに来てくれて、林檎と果物ナイフをわざわざ持って来て、三人で食べたこと。
      「じいちゃん、ばあちゃん、暗くならないうちに帰りや。気いつけて帰ってな。あたしも早く家に帰れるようにするしな」
      「せやなあ、夕日で明るいうちに帰るわ」祖父が病棟の廊下の窓を見ると、夕日のオレンジ色の光が差して眩しかった。祖父と祖母は並んでその光の中へ歩いて帰って行った。二人仲良く私に手を振りながら。

      祖父を祖母が迎えに来てくれたのかな。
      そしてあのときみたいに夕日の光の中へ行ったのかな。二人仲良く並んで行ったのかな。私の父であり、祖父であるじいちゃん
      あなたの言うとおりいろいろ辛い人生だけれどあなたの孫で良かったと心から思うよ
      明日でお別れだけど、私の心の中でいつまでもばあちゃんと一緒だよ
      94年間、お疲れ様でした。100歳までは生きられなかったけれど良い人生だったよね?

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