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- 2015/12/14 13:07
- 罪は利己的、罰は排他的に
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- 罪は自身を中心に介して自分自身を許容する為の利己的行為が根幹にあるといっていいだろう。
罰は利己的行為の拒絶を基にした排他的行為が根底にあるがゆえに利己的思考と排他的思考とは主体に対する拮抗と言わざるをえない部分が多数を占めるだろう。
相反する上で先における思考は拮抗だけを示すものだろうか?これには展開的要素はないのだろうか?
反するものに対する視点は一辺倒な見方では展開は望むべくもなく踏襲されるものだ。こういった視点から思考されるものは独りよがりな展開を望み、思考の共有に齟齬がでる一因となる。これを是正すればある思考に反する思考が生まれてしまう。これが排他的な思考なのだ。
共有可能な思考を共有出来なければ迎え入れてはくれない。迎え入れるこれとを拒むことを罰と位置付ければ拒絶の後押しにもなる。 後押しされた罰は排他的思考を罪と位置付けることで個の思考を排除する口実を得ることになる。後押しされた排他的思考はその魅力と共に踏襲することが思考の根幹であり、罰と定義するのがあたかも是正される思考と盲信してしまう。
利己的思考は確かに罪と位置付けられなくもないが、拒絶することで盲信を思考の唯一とする罰も推奨できる話ではないのである。
- 罪は自身を中心に介して自分自身を許容する為の利己的行為が根幹にあるといっていいだろう。