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- 2014/5/8 8:45
- 誠治へ
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- 旦那が葬式の時に挨拶をした文です。
「誠治は本当に強くて優しいいい子でした。僕の誇りでした。大切な大切な子でした。生まれながら色々と病気を持っていました。
二分脊椎でした。心室中隔欠損症でした。喉頭軟化症でした。左の耳の穴が開いていません。左の手の指は六本でした。アデノイドが見つかりました。後頭葉のてんかんが発症しました。
他の人より病気にかかりやすく、生まれてから暫くは側にいることもかなわず、医者からは将来歩けないかもしれないと言われました。でも誠治は歩けるようになりました。本当によく風邪をひきました。一週間ひいただけで肺炎になりました。肺炎では何度か入院しました。インフルエンザ脳炎になりました。その時には一度「覚悟」を決めたものです。しかし後遺症もなく元気になってくれました。
病気がちだから色んな薬を飲みました。でも、薬を飲むことを嫌がったことはありません。いつも大きく口を開けて黙って飲んでくれました。よく注射も打ちました。でも一度として注射では泣いていません。針が刺さるその先を見ながら、くっと歯を噛み締めるのです。本当に強い子でした。
幼稚園に入ってからは通院で休みがちでしたし、発達が遅いのもあって中々仲がいい子も出来ずに、さびしい思いをしたと思います。でも誠治はいつも笑顔でした。いっぱい手がかかった子でした。手がかかった分本当に可愛く思える子でした。よく親より先に子が逝くのは、親不孝と耳にしますが、僕たちの場合少し違ったかもしれません。誠治は、未熟な父母の元に生まれてくれた宝物のような子でした。僕たちの元に生まれてきてくれたこと自体で僕たちにとっては十分親孝行でした。僕のある友人が言いました。誠治君はいい子すぎたから、早くに逝ってしまったんじゃないだろうか、と。そうかもしれませんね。でもほんの少し欲を言えば、もう少しだけ長く生きていて欲しかったです。これからは誠治のいない時を僕たち家族は生きていかなければなりませんが、この目に見るすべてのものが誠治を思い出させます。
今日を生きるということは、今を生きるということは、生きるということは、「今日を、今を、闘う」ということなんだと、僕はこのちっちゃい身体だった誠治から教わった気がします。」
- 旦那が葬式の時に挨拶をした文です。