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- 2014/11/24 16:58
- 親父死去…
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- 先月下旬、「野暮用」で実家に電話した。
たわいのない電話。
出たのは親父。
二言三言話して、お袋や姉に変わるか、即座にお袋や姉に変わる……
それがいつものパターン。
その時もこんな感じ……
翌日、言い忘れたことを思い出し改めて電話。
聞けば親父入院、定年後はまるで趣味は病院通いかの様に、小さなことでも通院しまくってた親父。
近年は、入院も早期で何度もしてた。
今回も、その流れだと思っていた。
俺と姉が小さかったころ、俺が肺炎の一歩手前になったとき、仕事から帰宅した親父にお袋が病院行くからと車出してと言った、飲み会あるからと家族残して着替えて早々出掛けた親父……野郎にはない女の子だけにくるもの、毎度痛みが激しい姉が苦しんでいたら、晩酌中で酒が不味くなると不機嫌になった親父……
自分が体調崩すと不機嫌になり、病人労われと家族に言い張る親父……
正直、俺と親父は「いい関係」ではなかった。
バカコンビや炸裂トークと互いの家族の話になる際、親父の話した記憶あまりない。
今回入院した親父、「お袋だけ」医者に呼ばれたらしい。
俺は正直、早々には帰省するつもりなかった。
弱らせて、過去の償いを後悔させて帰省する判断でいた。
案の定、「副作用や病による気の弱さ」で俺のこと言い始めたらしい。
そして帰省、見舞いに行った。
かなり弱ってて、話すの一苦労どころじゃない苦労になっていた。
とりあえずは埼玉帰ってまた来るよと伝えたら、体や今後のこと言ってるのはわかった。
そして……最後に……一言
「すまなかった、ありがとう」
何がすまないのか?わからんよ。
仕事休んで来たこと?それとも過去のこと?
とりあえず見舞いだけの帰省なので、当日のうちに高速バスで、埼玉に。
その車中で、姉からメール。
親父死去………
俺の顔見て、安心したのか!
最後の最後まで、意地の汚さ貫き通して、しぶとく生きてみせろよ!
いっそのこと、まだ会わんほうが長く生きたのか!
最後だけ、あっさりあっけなく今まで人生と間逆に素直に逝きやがって。
葬儀では喪主やったよ。遺言だったんだろ!
親戚一同からも、最後に会ったことは、救いになるよと言われたよ!
骨の一部、手元にあるからこれからは、神頼みするからな!
- 先月下旬、「野暮用」で実家に電話した。