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    • 2012/9/7 21:27
    • 聖という字を「ヒジリ」と読むわけ
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    • 葉隠聞書第一より
      宗龍寺の江南和尚(こうなんおしょう)が、多久美作守(たくみまさかのかみ)や石田一鼎(いしだいってい)などの学問好きと話しをした時の事。
      和尚が「各々方は物知りで結構な事ですな。しかし人の道の事については、人よりも劣っておられる。」と言われ、
      「聖賢の説かれた道より他に道はないのではないか。」と一鼎が反論した。
      そこで和尚は「物知りが人の道を知らないのは、東に行くつもりが西に行くようなものだ。物を知るほど、道から遠ざかっている。
      そのわけは古来の聖賢の言行を書物によって覚えたり話を聞いたりして見識が高くなり、自分自身の事を聖賢のように思うようになって、一般の人々を虫けらのように見下すようになる。
      これでは人の道を知らないというほかない。道というのは自分の欠点を知ることである。常に自分の欠点を探して、悪いところを直すために、一生努力していくのが道である。
      聖をヒジリと読むのは、聖人が己の非を知っているからだ。
      仏は知非便捨(非を知ればただちにそれを改める)の四字をもって我が道を成就すると説かれている。
      自分の心の在り方に気をつけなくては、一日の間に悪心が数限りなく起こる。自分はよしと思うことは出来ないはずである。」と言われたので、一座の者は江南和尚を大変尊敬するようになったとの事である。

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