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    • 2015/10/15 0:32
    • 不倫は文化
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    • 多分、閲覧は著しく増えるタイトルでこんばんは。
      石田純一の発言で有名になってしまったが、本人はそうは言っていない。
      マスコミのはしょりはいつも一人歩きする。
      大阪市の市章にはミオツクシ、澪標がモチーフにされている。
      時々使うお京阪の円形社章にも周囲に六つ並んである。
      澪標は昔、大船が今日のように接岸出来るだけの港を整備する技術がない頃、座礁しない際を知らせる為に海底から海面上に立てられた目印の事だが、このミオツクシが身を尽くすにかけられて和歌に読まれている。
      わびぬれば いまはた同じ 難波津の 身を尽くしてぞ あわんとぞ思う
      なんのこっちゃ?
      今となっては侘しいやんけ、難波津の澪標みたいに波に打たれてこの身が滅ぼうと会いたいでぇ!
      な、具合だと思う。
      詠み人は皇子様で、畏れ多くも帝の寵姫、つまり親父の愛人に横恋慕して密会がばれて謹慎をくらった時の歌だというから相当惚れていたのだろう。
      百人一首は中学生で学ぶが、この手の恋歌を省くと数がぐんと減る。
      先の歌を中学生では理解は困難でもいい大人なら、ふむ…くらいは頷けるように思う。
      石田純一が言ったのはそんな文化も生んでいる、極悪のように揶揄するのは如何なものですか?だったそうだ。
      ただ、澪標は元来そこに佇み危険を知らせる存在で「もうここらへんで」と無言で言っている。
      終点の目印とも言えるから終わりがあることも暗示しているように思う。
      経験がないのでよくはわからない。

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