フラワー☆B♂yさんとモバ友になろう!
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- 2011/6/26 14:15
- Who am“I”?
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- 「一人一人が自分のキャラを完全に演じるようになったら終わり」
この前ある授業で教授が言った言葉だ。その通りだと思う。キャラを形成するということは自分の本質の部分をなくすということ。性格をなくし、仮面を被った魔術師と同じだ。
先週の講演会で秋元康さんが同じようなことを言っていた。
「就活を思い浮かべてみてください。面接で落ちる→自分のどこが悪かったのかと悩み、修正する→また落ちる→同じように悩み、修正していく…。このスパイラルが続くと、どんどん“自分”というものがなくなっていく。これが個性の喪失。自分はこういう人間なんだ…こういう一面があるんですよ…。だから、こういう自分を受け入れてくれる会社に入りなさい」
この二人の話を聞いて妙に納得した。でも、個性(=自分らしさ)を維持していくことは難しい。小学校時代には小学校時代の自分があり、同じように中学、高校の自分はまたそれぞれ違うと思う。そしてもちろん今、大学生になった自分もまた違う。こうやって見ていくと、一体どこが本当の自分なのかと考えてしまう。自分は誰で、何のために、何を目指して…っていう、そういう自分の大事な部分を忘れてしまいそうで怖い。いや、もう既に忘れてるかもしれない。言うなれば海にただ浮いているだけの丸太。波に身を任せ、成り行きに自分を預けている状態。今の自分はそういう状態のような気がする。
まだ20年くらいの人生だけど、それぞれに違った自分がいる。時代ごとに自分の名前を変えてもいいくらいだ。でも、なんていうか…自分の本質の部分は見失わないようにしたい。いろんな装飾を施して自分を取り繕ってみてもいいけど、自分の“芯”の部分はいつまでも廃らせずに持っていたい。周りの波に流されるんじゃなくて、一本の、太く、しっかりとした鉄のような棒には手を離さずに掴まっていたい。長所とか短所とか…なんの分類もない。そういうのも全部含めて“自分らしさ”だ。
そういう意味で…
『自己中心的』って一般的にはマイナスの意味合いを孕んだ言葉も、こう考えればなかなか嫌いになれないなと思った。そこには100%の個性を感じる。
※あくまで個人の意見です
- 「一人一人が自分のキャラを完全に演じるようになったら終わり」