◎Y.T?さんとモバ友になろう!
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- 2016/1/1 1:53
- 祈りを虚しきものとしないために
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- 2016年が始まって1時間が経過しました。
今年もNHKの「ゆく年くる年」を見て年越し、そして
地元の神社へ初詣に行って戻ってきました。
参拝客の行列に並んでいる最中、篝火を炊いているのを見ました。
その火はとうに勢いが衰えていました。
その中に不要となった物や枯れた枝などが投げ入れられ、
そして灰塵に帰しました。
「あれが、全ての物の終着点なのだろうな」と思いつつ、
役目を終えた物を供養するために手を合わせていました。
さて、新年を迎えたわけですが皆さんはどんな願い事をしたのでしょうか?
自分は願いがないわけではありませんが、願うことを忘れてしまいました。
ただ、自分は最終的には社会の中にいながら、社会や俗世間から最も距離のある人間になりたいと思っています。そして、社会や国、そして世界をも俯瞰し達観した境地を目指したい。
これは2016年の目標ではなく、ある種の自分の人生のテーマとも言えることです。
ただ、これだけでは余りにも漠然としすぎていて、
どうすれば自分の目指す理想に行き着くことができるのかわからず、
途方にくれてしまうというもの。
なので、今年はその境地に至るに不足ない程の知性と精神の獲得を目指していこうと考えています。
しかし、それでもまだまだ不十分。具体性に欠けるためです。どうやって目指していくのかが示されてはいません。
そこでここに示します。まずは自分の行動を記録すること、それを続けるための勉強をするところから始めて行きます。次に本を読むことで知性を磨き、そして心を磨くべく創作と鑑賞をします。
このようにして、自分にまつわる願い事だったら、ここまでやって実際にやってみて、軌道修正していくことになります。
こういうことを願い事として八百万の神様に詣でること、それは神様に「こうしてみせます」と誓うということを意味します。決して神様が叶えてくれるとは思ってはいけないのです。彼らにできるのは人間には見えないところから見ることだけなのですから。だからこそ誓いを立て、見てもらうのです。誓いを守るために日々精進している自分を。
願い事を込めて祈りを捧げたならば、その願いを無駄にしない正しき努力が必要となってくるのです。そう、神道における神様への祈りを有意義なものとするのも、無意味なものとするのも祈る人間のその後の行動なのです。
- 2016年が始まって1時間が経過しました。