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- 2011/3/31 18:51
- 東日本大震災を体験して2
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- 11日の夜
電気は使えなかったけど、水はまだ通っていて安心した。しかし、これがいけなかった。水を溜めずに寝てしまったのだ。
余震が酷く、おびえながらも、初めて三人で寝る事になり、アウトドア気分で横になった。
「多分二、三日で電気は通るだろう。」
楽観的に考え過ぎていた。
それでも、余震が怖くて深夜まで眠れなかった。情報は全く入ってこない。これから何をすればいいのか分からなかった。
12日
朝、私は消防車のアナウンスで起きた。
「電気が通った時にブレーカーを上げていると危険です!ブレーカーを落として下さい!」
急いでブレーカーを落とし、朝食の用意をしようとして、愕然とした。
水が出ない!
トイレは?お風呂は?料理も洗濯も食器を洗うのも……全部水使うんだよ!飲む事さえ……出来ない?
マジ?これからどうすんの?生活出来ないじゃん!
私は家があるから、避難所よりマシだと思ってたけど、食べ物があっても、調理出来なきゃ意味がない!飲む水も無い!
私の家はオール電化なので、電気さえ使えれば、と思っていた。
それから4日位、毎日納豆を食べ、たまたま買っていたジュースや牛乳を飲んで過ごした。
飲み物が無い人はどうするんだろう?と考えて、身震いがした。
親戚などが訪ねて来てくれて、おばあちゃんたちが無事である事が分かった。それまで一日中心配していた。
二、三日して、ようやく被害の一部が見えて来た。恐ろしいニュースばかりをラジオで聞いていた。たまに(今は使ってない)携帯でTVを見ていたが、充電出来ないのであまり見ない様にした。
近くの海で300人の死体が上がったが、津波のせいで近づけないらしい。
正確な震度や規模さえ、すぐには分からなかった。
トイレをお風呂の水で流しながら、電気がいつ通るのかさえ分からず、恐怖ばかりが募った。
14日
朝、信号機が動いていた。
まさか!と思ったが、家の鬼母はまだブレーカーを上げるなと…
しかし、夜に外を見ると、明かりついてるじゃん!
急いで米を10合炊いた。携帯を充電した。また水道みたいに止まる事を怖れた。
明かりがあるという事がどれだけ幸せな事なのか、噛みしめながら寝た。まだ余震は続いていた。
- 11日の夜