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- 2011/8/4 19:42
- マツ、夢をありがとう!
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- 本日13時6分、サッカーJFLの松本山雅FC・松田直樹選手が34歳の若さで亡くなられました。
ご存知の方も多いと思いますが、昨年まで16年間横浜Fマリノスに所属し、2002年の日韓ワールドカップの時は日本代表のレギュラーとして君臨した偉大な選手です。
俺は小学生の頃、日産(マリノスの親会社)に勤務していた近所のおじさんに誘われ、日産サッカースクールに所属していました。
その数年後にJリーグが開幕。サッカースクールは辞めていましたが迷わずマリノスを応援する事としました。
Jリーグが開幕して2年目くらいまでは空前の大ブームでなかなかチケットも取れない状況でしたが、3年目の95年辺りからブームも沈静化し沢山試合を観に行けるようになり、この年にマリノスに入団して来たのが松田選手でした。
今では当たり前のように若い選手を見ていますが、当時大学生だった俺にとっては自分より年下の選手(1学年ですが)が新人としてプロの試合に連日出場している事に対し、嫉妬にも似た驚愕の念を抱いたのを覚えています
それ以来16年間…マリノスの3度のリーグ優勝、また日本代表初のW杯ベスト16進出は松田選手の存在無くしては有り得なかったと思います。
ところでマリノスに所属していた時彼は『なかなかサインをくれない選手』として有名でした
俺は自宅とマリノスの練習場が比較的近いので練習見学に訪れる機会も多いのですが、他の選手は気軽にサイン等くれるのに対し彼は練習後いつの間にかサポーターを避けてクラブハウスに逃亡している事が何度通ってもありました
そんなある日、俺は彼の3番のユニフォームを練習中からずーっとフェンスの柵に干して(見えるように掲げて)アピールするという作戦に出ました彼は人情溢れる熱い男。自分のユニフォームを掲げたファンから逃亡するはずがない、という計算の元に
そして全体練習後彼はしばらくチームメイトと談笑しており、また逃亡?の不安が芽生えユニフォームを干す腕も疲れ果てて来た頃…
松田選手突如こちらに向かって一目散に突進満面の笑顔で俺の所に来てくれて、ユニフォームだけでなく持っていた本(彼の著書)にまでサインをくれたあの時の光景は今でも忘れません。
それだけに昨年マリノスを戦力外になった時は俺も非常に悔しく、サポーターの発案した解雇反対の署名活動にも参加しました。
そして今日…このような結果となり、TVのニュースで彼の訃報が流れる度に悲しみが現実味を増して堪えきれない思いになります
マツ…俺も何十年後そっちに行く。そしたらまたサイン貰いに行くよ
- 本日13時6分、サッカーJFLの松本山雅FC・松田直樹選手が34歳の若さで亡くなられました。