★♪りン♪♪さんとモバ友になろう!
日記・サークル・友達・楽しみいっぱい!
-
- 2008/12/2 20:20
- 自分哲学◆友達とは◆
-
- コメント(3)
- 閲覧(39)
-
-
自分はモバゲ―を初めたばかりだが、話してもいないのにいきなり友達希望をしてくる人には驚きを隠せなかった。
これは現実世界だとよくあることだ。
会ったばかりなのに友達気取りの人。
友達の数は多ければ良いと思っている人。
このような人と出会う時、私は熟考する。
彼等にとっての友達とは、そのような軽いものなのだろうか。
彼等は友達をたくさん作って何をしたいのだろうか。
そんなにみんなで表面上の付き合いをして、傷の舐め合いでもしたいのだろうか。
心から相手と触れ合えていないのに、それを「友達」として、偽りの優しさに浸っているとは、何と可哀想なんだろう。
そのような友達は結局『友達』と言う名の『他人』でしかないと思う。本当は他人だからこそ影で『友達』の悪口を言えるのだ。
そのような人達は人から嫌われることを恐れているのではないか。だから他人に無理やり『友達』というレッテルを貼るのだ。彼等にとって他人は自分を脅かす存在である。いつ傷つけられるか分からない。傷つけられるのは嫌だ。だからこそ、友達にする。『友達』と言う名のレッテルを持った相手は、自分を傷つけまいと誤解している。なぜなら『友達』に傷つけられるわけがないのだ。
それ故に彼等は好かれるためにみんなに良い顔をする。しかしその『良い顔』は、自分を偽って改造した『良い顔』なのだ。でなければ全く他人と衝突しないということは有り得ないだろう。
それは彼等の本当の顔ではない。
つまり、そのように改造した自分が他人に好かれても、本当の自分を好きになってもらえるわけではない。
ちょっと本性をのぞかせると、「良い人だと思ってたのに・・・」と幻滅されるのがオチである。
だから、みんなに良い顔をする人は、ずっと自分を偽らなければならない。だから、『真』の友達ができない。
人はお互いの「心」と「心」が会話した時、精神的に成長することができる。
つまり、自分の気持ちを偽り続ける人は精神的に成長できないのだ。
だからいつまでも他人を恐れるのである。
精神的に成長してくると、他人は他人でしかないと分かるようになる。 他人は自分を傷つける材料を持っていないことも分かってくる。
だから、一人の時間を楽しむこともできるし、周りの目も気にならないのだ。自分のペースで歩めるようになってくるし、自分が他人に影響を与えることはあっても、自分は他人に影響をされないのだ。