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    • 2016/1/18 11:38
    • 「受容」という態度について2
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    • 私はこの疑問に対しこう考える。
      対人援助は「人」を援助する。「人」が「人」であることを援助するのであって、「人」が「畜生」になる援助をするわけではない。
      では「人」とは何か?

      私は人を「現存在」であると考える。
      現存在とは自分自身の過去・現在・未来に対して責任を持って生きる者である。

      この考えに基づくと、自分自身に対し責任を持って生きようとする人間が援助の対象者であることになる。
      では、破滅的な人生を送ろうとする人間は援助の対象ではないのか?

      私はこの疑問に対しこう考える。
      全ての人間は自分の持ち得る力を活用し、幸福になりたいという欲求がある。
      さらに言うなら、持ち得る力を活用し何かに打ち込むことそのものが幸福であると考える。
      表面的に破滅的な言動が見られようとも、潜在的には必ず幸福に向かう欲求がある。

      援助者は表面的な言動を受容するのではなく、潜在的欲求を受容しなければならないのだと考える。

      破滅的な言動に対しては気持ちを推し量り沈黙する、そういう言動に至る事を憂う、そして潜在的欲求が顔を出すまで待つ。
      そう言う様子が、外から見た時に受容的態度と映るのではないだろうか?

      ただ援助者が「人間は幸福になれる」と心から信じられなければ、それは幸福理論の押しつけである。
      心から信じていればこそ受容的な「態度」となる。


      結論としては
      「人間は幸福になれる」という心が受容的態度として表れる。
      従って心から思えなければ、それは態度ではなく技術に留まる。

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